魚沼辺境に500年以上続く棚田で、伝統職人が涵養した米・白倉米。 信濃川水系の湧水と白土層の土壌、伝承された手技で培うのが特長です。 その白倉米の中で、極限までこだわり抜いた一握り分の米を「究極の白倉米」として販売します。凝縮された白倉の誇りを、ぜひ賞味ください。

地名「白倉」の由来はふたつの説があります。
1.「深雪の倉地」説
倉下山から渋海川にわたる高低差253メートルの急峻が、特徴的な気候をもたらします。冬は3メートルを超える積雪で、春に豊富な雪解水をもたらします。夏は高低差による山谷風が昼夜の寒暖差を生み、稲の登熟を促します。
2.「白土層の急崖」説
集落の地盤を成す粘土質で弱酸性の土壌は、水分・養分の保持力が特長。白土を多く含む田は、里山の恵みを余すことなく蓄えます。

先人の苦労が偲ばれる、水田開発の歴史でもあります。

開村
渋海川中流域の峡谷に耕地が開発されたきっかけは、落ち武者による開拓だと語り継がれています。戦国期の永正3年(1506年)、反町上野文書に千田の地名が見られることから、この頃には集落の存在が推測されます。また、現存するヨコアナ(横井戸)やマブ(隧道)も開村当時から開発が始まりました。
中世
現在の地名が始まったのは高田藩領の寛永年間(1624~44年)。戸数の大小により大白倉・小白倉と呼ばれました。石高は「正保国絵図(1651年)」に大白倉53石・小白倉33石と記されています。 天和元年(1681年)に幕府領となりました。仙田村の枝村として、内組頭が置かれました。日照不足と河川氾濫により、たびたび減免願いが出された記録が残ります。
近代
明治12年(1879年)から中魚沼郡に所属し、同22年(1889年)、市制町村制による仙田村になりました。その頃、江戸後期から続いた渋海川の穿入蛇行地・枇杷島の新田開発が数世代の時をかけ完了しました。
現代
自治体の合併を繰り返し、昭和31年(1956年)に川西町、平成17年(2005年)に十日町となり現在に至ります。戦後の高度成長期にコシヒカリが普及。平成5年(1993年)の米騒動時、魚沼産コシヒカリが唯一特A米評価を受け不動の地位を獲得しました。

稀少性の高い良質な魚沼コシヒカリです。 魚沼産米の収穫量は全国の1%といわれる中、旧川西産は全魚沼産の約6~7%。魚沼の中でも隠れた特A産地として知られています。 川西産の中でも白倉産は峡谷の狭小田で育つため、収穫量が限られほとんど流通しません。

※1 平成30年度農林水産省発表資料
※2 旧川西町2000年代の平均収穫量
  (水稲の市町村別収穫量:農林水産省北陸農政局統計部)

白倉で収穫されるコシヒカリから、究極の一握りを厳選します。

  1. 白倉で最も食味が良いといわれる田で栽培
  2. 薬品・機械は一切用いず、米職人による手作業
  3. はざ掛けによる天日乾燥
  4. 田1枚分の米の中から、米職人が1粒づつ選別
  5. 籾のまま雪室で貯蔵・熟成
  6. ご注文後、手作業で籾摺り・精米
  7. 特別ケースに収納し、冷温輸送
究極の白倉米 特別限定栽培 150グラム
限定1点 150,000円
※税込価格。送料込み。国内発送に限ります。

魚沼でも流通量が少ない、峡谷の棚田で採れるコシヒカリです。 ミネラル豊富な湧水と粘土質の土壌で、500年以上続く米職人が食味にこだわって育てました。中粒でつるつるとした口当たり、独特の粘りと甘みが特長です。

【ご注意】
最高のコンディションでお届けするため、受注後に精米します。発送が遅れる事、ご了承ください。
ご注文から発送まで

蔵出し
雪室から玄米を出し、結露を防ぐため24時間以上かけ常温に戻します。

精米
精米後は空気にさらし、精米時に発生した熱が冷めるのを待ちます。

出荷
担当者がお米の状態を確認し、合格となった米だけを梱包・発送します。

  • 2kg2,000円
  • 3kg3,000円
  • 5kg4,500円

※税込価格。送料込み。国内発送に限ります。